皆さんは最後の晩餐には何を食べるかなんて考えていますか?
私は年を重ねるたびに変わってきています
20代は肉の事しか答えがなく
30代になるとお酒に合う沖縄料理なんかが良くなっていき
お漬物の良さがわかりだす40代になると日本料理にはまり
「お刺身に日本酒なんて」と考えたりとか・・・
最後の晩餐とはこのままいくとあっさりしたものになってしまう気がします
しかしこの食事のチョイスは次の日、胃の調子を考えたチョイスであり
明日世界が終わるなら胃がもたれようと気分が悪くなろうと
もう世界はないのですから本当に食べたいものでいいのではないかということです
そうなると楽しくなってきます
しかし、食事よりも明日がないという事を考えると食欲があるのか
それよりも大事な事、やり残したことはないかと考えると
睡眠をとっても映画を見ても意味があるのかとか
何をしても意味があるのかをかんがえてしまいます
という事は今あるすべてのできることは「明日につながる」から意味があると気づかされました
睡眠をとることは明日元気になるためで食事をとることは明日の活力、
全てにおいて「明日につながる」為の行動なんです
世界最後の日は戦争なのかウイルスの蔓延なのか自分の寿命なのかわかりませんが
自分の寿命であるのなら食事は内容ではなく誰と食べるかが重要になってきます
最後は自分の事ではなく誰かの明日を考えて何か残せるような会話をしながらの食事が理想です
私自身の存在は死という人生最後のイベントを迎える時と何年か何十年か
のちに生きている人が私のことを忘れていきこの世界に私という存在が
完全に消滅して終うとき本当の死を迎える事でしょう
かつての偉人たち、例えばアインシュタイン、ジョンレノン、ヒトラーは未来何百年も忘れられない偉人ですが普通の私はたぶん40年もしたら私を記憶している方も
いなくなり世界から他人の「私の記憶」は完全に消滅することでしょう
今最後の晩餐を迎えるならばお蕎麦と日本酒を飲みながらそんな話をすることしかないのかもしれません
もし運命に抗うのであれば私の存在ではなく名曲を作曲したり
絵を描いたり何か発明をしたりも夢見ましたが
それは生きている間に自分のためにしたいことであり
世に名前を残そうとするのはエゴイズムであり
私は生まれたときから必死で生きている美しさを一つでも実感しながら
最後の晩餐の時が来るまでいろんな人たちと楽しい時間を過ごしたいのです
結果最後の晩餐とは
最後の日までの自分の行動で友との会話が一番の「味」になるという事
私の持論ですがもう今から最後の晩餐の調理は始まっているという事
皆さんの最後の晩餐はいかがですか?